1954年3月1日、マグロ漁船『第五福竜丸』はビキニ環礁でおこなわれたアメリカの水爆実験に遭遇、「死の灰」をあび、人も魚も被災。日本国民にとって忘れられない船となりました。その年の9月23日、無線長の久保山愛吉さんが、息をひきとり水爆による人類最初の犠牲者となりました。
久保山さんが亡くなる20日前に、長女のみや子さんが書いた作文があります。
(草土文化 母と子でみる第五福竜丸より)
「死の灰にまけてはならない、いっしょうけんめいにこの灰とたたかってかならずずよくなるよといいつづけていたおとうちゃん。…こんなことになるとは、みんなあのすいばくじっけんのためです。…こんなおそろしいすいばくはもうつかわないことにきめてください。」
妻、久保山すずさんは、1955年の第一回日本母親大会で「ほんとうの母の愛情は、子どもを守ることではなく、戦争をやめさせることです。…戦争をやめてください。原子兵器をやめてください。これが夫の最後の声でこざいました。」とあいさつ。
久保山さんが亡くなってから59年。ねばりづよく取組まれてきた核兵器廃絶を求める運動をさらに前へ…。 とし子