2013年11月17日日曜日

母親大会

第35回帯広・十勝母親大会が11月9日、とかちプラザを会場に開かれました。

1954年、アメリカの水爆実験によってマグロ漁船員の久保山愛吉さんが死去。

広島・長崎につぐ三度目の被爆に母親たちは怒り、平塚らいてうら5人が全世界に向け「水爆禁止のための訴え」を送りました。

1955年スイスのローザンヌで世界母親大会が開催され、それに先立ち第1回日本母親大会が東京で開かれた歴史があります。

この大会での、久保山愛吉さんの妻、すずさんの訴えが、帯広・十勝母親大会の会場で紹介され、参加者の涙をさそいました。

全体会では「女性史を学ぶ!『日本国憲法』に実らせた北海道の名もなき女性たちのたたかい」と題して、宮田汎さん(治維法同盟道本部会長)が講演しました。

1931年5月23日、帯広榮楽座で開かれた、労農党首・大山郁夫演説会に紅一点…女性が参加している写真を紹介や、久保栄の『火山灰地』の「炭焼子争議』の頃(1931年8月5日)、全農音更支部に婦人部結成の写真などが紹介されました。

この十勝に、女性に選挙権さえなかった時代に、勇気をもってたたかった名もなき女性たちがいたこと。

その歴史が脈々と今に引き継がれていることに、大変感動しました。 とし子