2014年6月22日日曜日

『戦争する国づくり」許さない

~元特攻隊員の手記が寄せられました




私は昭和3年に、渋谷駅に近い宮益坂で生まれ育った。渋谷小学校は駅前にあり、童謡「春の小川」のモデルとなった清らかな渋谷川がすぐ前を流れていた。当時、忠犬ハチ公が毎日渋谷駅にご主人を迎えに来ていた。ハチ公は6歳の私よりも背が高く、おとなしく賢い犬で、皆に愛され、私も頭を撫でていた。


昭和19年4月、中学3年生を終了して海軍甲種飛行予科練習生となり海軍航空隊に入隊した。
一年間の予科の訓練を終え、昭和20年5月、土浦海軍航空隊に転属となった。いよいよ飛行機に乗れるのかと思ったが、もはや我々の乗る飛行機はない。


ある日全員特攻隊の要員として任命され、全国各地の父母に最後の面会許可の電報が打たれたが、この電報が米軍に傍受され、部隊は面会当日に空爆をうけた。仲間の多くが戦死し、面会家族にも多数の死傷者が出る中、なんとか生き残ることができた。


その後私も震洋(魚雷艇に爆雷を積んで敵艦に突っ込む)特攻隊要員として訓練を受けているうちに8月15日を迎えた。16歳の夏であった。


戦後69年も経って、日本が再び戦争に捲き込まれるようなことは決してないと思っていた。


しかし最近の安倍政権が、戦争放棄、戦力不保持を定めた憲法9条を無視して、集団的自衛権の名の下にアメリカ軍と一緒に自衛隊を戦場に送り出そうとしている。戦争の恐ろしさを知らない戦後育ちの安倍首相が、アメリカの要求に従って日本の若者を戦争の生贄にしようとするその罪深さを考えない訳にはいかない。


(青木昭夫)